
うな措置を1995年中にもとると決定した。また移動電話会社のNTTドコモとのあいだでも、早急に解決するよう検討中とのことである。 電話に関する第三の間題点は公衆電話にかかわっている。公衆電話は一般加入電話と異なって災害時優先電話の扱いを受けており、地震当時神戸市内に3400台あったといわれる公衆電話は、いわば市民の唯一の情報連絡手段となった。筆者はたまたま地震当日大阪市内にいたため、被害が大きくなった午前9時半頃被災地に向けて出発したが、神戸市内の公衆電話設置場所には多くの被災者が列をつくって電話を使っていた。東京や大阪など被災地の外から電話しても輻竣や通話規制によってほとんど疎通しなかったが、被災地の中から、しかも公衆電話を使えば電話は比較的通じたのである。 前述のアンケート調査でも、「公衆電話から電話した」人が神戸市で32%、西宮市で29%いたが、そのうち、「電話をかけてすべて相手に通じた人」が神戸市で27%、西宮市で29%と、疎通率は一般加入電話のほぼ2倍になっており、また、「1っも通じなかった」人は神戸市で11%、西宮市で7%と、こちらは一般加入電話の4分の1程度に減っているのである(表2)。もちろん不要不急の電話は自粛すべきだが、死傷者や事故が発生するなど、どうしても連絡しなければならないときには、公衆電話を使うのが有効だ、ということである。 しかし、ここでネックになったのは、停電地域におけるカード公衆電話だった。通話に必要な電力は電話会社が提供する電力で動くから、商用電源が断になっても使えるが、カードの磁気記録の読み取り部分は商用電源によって動いているから、停電になればカードが使えず、10円硬貨を使って電話するしかなくなってしまう。今回も神戸市内を中心に広範囲に停電があったので、カードが使えない公衆電話が少なくなかった。そのため、多くの人は1O円硬貨を使ったが、これも硬貨が1000枚ほどたまるといっぱいになって投入不能になり、公衆電話そのものが使えなくなってしまうのである。しかも道路の渋滞や職員の不足によって硬貨の回収作業もはかどらなかったため、長いあいだ使用不能のままにおかれた公衆電話も少なくなかったという。停電時にも一定時間は使えるよう公衆電話にバッテリー(あるいは太陽電池)を内蔵するような工夫が必要だ、とわたしは以前から訴えてきたが、震災後、NTTは大規模な停電をともなう大災害時には中継局から特殊な信号を電話交換機に発進し、交換機がそれをキャッチして、公衆電話が自動的に無料になるような措置をとることを決めた。早急な実現を期待するものである。 (6) 災害情報システムの改善(地域防災無線等の導入) 以上、阪神・淡路大震災において顕在化した情報間題のいくつかについて述べてきた。最後に、阪神・淡路大震災のような痛ましい被害を二度と繰り返さないためにも、大都市震災時に必要な情報システムのイメージにっいて触れておきたい。もちろん、いままで述
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